神々の山にみまもられて
豊潤な暮らしの糧をもたらしてくれる自然を神と仰ぎ、朝な夕なに天に祈りを 捧げてきた七宗の先人たち。その素朴な心の象徴ともいえるのが、御佩山 (みはぎやま)の頂上近くから、まちを見守るようにたたずむ神渕神社ではないでしょうか。
社へと続く参道沿いの崖には”御佩郷”と巨大な磨崖文字が刻まれています。一字は実に2m四方と、そのスケールはまさに圧巻。御佩山、御佩郷とは神代の頃、高天原に登る須佐之男命が、自ら佩いた十劵剣(とつかのつるぎ) をこの地に祀ったという神話に由来するもの。
神渕神社は壬申の乱(672) の際、大海人皇子(後の天武天皇)が皇運挽回祈願のため、神鏡を祀ったことが始まりだといわれています。
七宗町は神々にとって”特別な地”だったのでしょうか。それを知るのは、神域と呼ぶにふさわしい静寂に包まれた社の境内で、850年のときを見つめてきた大杉だけかもしれません。
古今東西の文化が香る山里
飛騨街道の要所として、”尾張様の御納戸”と呼ばれた七宗山の懐に抱かれた里として、七宗町には古くから多くの文化が運ばれてきました。
飛騨街道によって江戸や上方から伝わってきたのは人形浄瑠璃。江戸時代には葉津文楽としてこの地に定着し、昭和初期まで山村の数少ない娯楽として親しまれてきました。
そして、全国行脚の旅の一時期を七宗で過ごしたといわれるのは円空です。神渕に円空屋敷と伝えられる土地があり、周辺には数多くの円空仏が現存しています。
また、美濃国守 土岐頼貞ゆかりの龍門寺は貴重な文化財の宝庫。中国の画僧によって描かれた絹本着色釈迦善神図をはじめ、室町時代より伝わるさまざまな寺宝が残されています。
山里に息づく豊かな文化は、七宗町の風光明媚な自然と素朴な人情に見せられた東西の旅人たちが、運んできたものかもしれません。
七宗町役場 ふるさと振興課 振興係
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